有機農業の生産者の方々からディープなお話を伺う企画の第5弾です!
オーガニック野菜との向き合い方、また有機農業の未来など、多方面に語っていただきます。
今回は、風の丘ファームの田下隆一さんです。
埼玉県北部の丘陵地で、30年以上有機栽培を続けていらっしゃいます。美味しい野菜を生産するかたわらで、農業を志す研修生を受け入れ、たくさんの新規就農者を育てて来られました。
今回の対談では、改めて考える農家の役割と、それを担う農家の育て方について、現場での取り組みを伺いました。
前編・後編、2回に分けてお伝えします。
【田下】田下さん
広い大地への憧れから有機農業の道へ
【田下】農業をと思ったのは40年位前ですかね。東京生まれで調布で育ったんですけど、田んぼだらけで蛙が鳴いてうるさいようなところでした。それがだんだん都市化してきて、満員電車に揺られて通学っていうのが嫌になって、もう高校時代から北海道の広い大地で仕事をしたいって、憧れていました。それで高校を卒業した19の時に親を説得して、北海道の牧場に行ったんです。
牧場で働いてみると、身体はすごく大変だったんですけども、本当に気持ちが良くて、一生の仕事にしていけたらなっていう思いがあって頑張ってたんです。ただしばらくいると、当時の酪農の状況が見えてきて。牛乳が余るようになって生産調整がけっこうあったんです。酪農農家も規模が大きくなっていて、牛舎もいるし機械もいるし、お金が相当かかるというところで、これはちょっと新規で始めるのは無理だなって思いました。
【田下】それで1年半くらいで東京に帰ってきて、機械を輸入販売する会社でサラリーマンをしました。それまで釧路の山奥、牛しかいない、隣家は数キロ先っていうところにいたので、やっぱり最初は東京がすごい楽しくて(笑)何でも手に入るし、遊ぶところもいっぱいあるし。
【田下】でも半年くらいで「やっぱりこれは嫌だな」って思ったのと、お世話になった北海道の牧場が懐かしくなってきて。おばあさんが庭畑でいろんな野菜を作ってたんですが、トマトの匂いだったり、ジャガイモの味だったりっていうのが忘れられなくて、やっぱりあんな生活がしたいな、物を作る仕事がしたいなという思いが強くなりました。酪農という形では失敗したんですけど、何か農業に入り込める形がないかと調べてる頃に、世間で有機農業が盛り上がってきたんです。
当時の仕事先の近くに有機農研(編者注:NPO法人 日本有機農業研究会)の本部があって、そこへ通って情報を仕入れたりして、ここ小川町の金子さん(編者注:金子美登(よしのり)さん。埼玉県小川町の霧里農場代表で、戦後の有機農業の先駆者)の所で研修に入ってっていう感じですね。
【田下】当時(40年前)は、新規就農する事例があんまりなかったんで、借りられる畑もほとんどなかったのですが、ちょうど研修中に、金子さんに連れられて参加した小川町の農業後継者の会のバーベキューか何かで、メンバーの人が「土地が空いてるよ」っていうんで、その後就農ができたんですね。
ひとつひとつ 作れるものが増える楽しさ
【田下】最初の頃、もう30数年も前なんで、飲食店に出すって話は全くなくて、一般家庭と「提携」という形で出すしかなかったんですよね。研修が終わって就農したのが23歳でしたが、何もないので、親戚とか友達とかを頼って東京まで配達して、っていうのが最初でした。
そのうち地域とかPTAとかで活動してる人たちが、共同購入みたいなものを始めたので、そういう所に入れてもらったり、また近くにニュータウンができて都会から入って来た人が買ってくれたり、そういう人達から知り合いに広がっていって、という感じでしたね。
【田下】15年以上そのスタイルだったんですけども、だんだん土地が空いてきたんですね。
最初はやっぱり、条件の悪い土地しか借りられなかったんですよね。まだ当時はお年寄りが頑張って農業をやってらしたので、畑や田んぼが空いているとかいう状態じゃなかったんです。誰も使わないような畑しか借りられなかったので、作っても作ってもそんなに良いものができなかったんですけど、だんだん農家をやめる人がいて、ちょっとずつ面積が増やせたり良い畑が借りられたりして、生産の余力ができてきたんですね。
【田下】ちょうどそのころ、ちょっと離れたところの飲食店なんですけど、そこに野菜を供給してた人が亡くなって、それで野菜を出してくれないかっていう話を頂いて、飲食店向けに出荷するようになりました。そこから知り合いの飲食店とか、知り合いの知り合いって拡がっていったんですよね。
もうひとつ、農家の販売を手伝いますっていう業者の人がいて、少し飲食店に拡げてくれていたんですが、結局採算が合わなくて2年ぐらいで撤退されたんですけど、その時に営業のノウハウなんかも教えてくれたんです。それでダイレクトメールを送ったりだとか、そういうのをそのまま引き継いでやり始めたんです。
【田下】普通、ダイレクトメール一般家庭に送ると、返ってくる割合が低いって言うんですけども、飲食店だと割りに返ってきていて、そこにお試しセットを送ったりして、そうしたときに結構定着率がよかったかなと。
一方で、一般家庭は、なぜかずっと増えないんですよね。何かやり方があるんだと思うんですけど、お客様の入れ替わりはあっても総件数はずっと横ばいで、販路開拓は飲食店の方に注力しています。
【田下】夫婦共に貯金はほとんど持ってなかったので、初年度は妻が仕事していて、夜は家庭教師をやったり、私もちょっと短期のバイトしたりとか、どうにかそれで食ってましたね。
2年目は、私はバイトを減らして、妻は夜の家庭教師をやるくらいで済むようになって、3年目くらいからは、どうにかできたかなっていう感じですね。
【田下】いやぁ、周りの人にいろいろ面倒を見てもらったし、お客様にもいろいろお世話になりました。一番最初の野菜を買ってくれた人で、まだずっと野菜を取ってくれてる人もいらっしゃいます。
【田下】そういうのはね、まったくなかったんですよね。
夫婦2人、まぁその後すぐ子供ができたんですけども、そんなにお金をかけた生活していなかったし、食べるものを作ってたし、やっぱりやってて楽しかったんですよね。いい仕事だな、っていう思いがあったんで。
【田下】特に怪我なく事故なく順調に来れたんで、その辺はラッキーだったんでしょうね。
あとは場所的にも、ここら辺は田舎すぎることもないし、東京にも出荷できるし、近くにも人が増えてきた頃ですし、こう上がっていく時代だったので、何とかなるんじゃないかなと思えましたね。
今だと、社会全体が下がっていく世の中なので、なかなか難しいかもしれません。
【田下】やっぱり、ちゃんと物ができる時だと思うんですよね。最初は条件の悪い畑を借りているので、一所懸命やるんだけども、ちょっとすると草に負けてっていうのも多くて、本当に簡単なものしか作れなかったんです。小松菜とサニーレタスと、っていうところから始まって、そこから、ジャガイモが出来た、カボチャが出来た、みたいに、一つ一つ作れるものが増えて、あぁこんなに良いものができたっていう喜びがありました。で、じゃあもう、来年はこれが出来るようにってとか。
ホウレン草がちゃんと作れるようになるまで、けっこう大変だったんですけど、一つ一つ上がっていったのが楽しかったですね。
【田下】それは今でも一緒だと思うんですよね。
今は飲食店と付き合っていて、ある野菜を見つけてきて、これ作ったら買ってくれるんじゃないかな?っていうのが当たると、とっても楽しいですね。
逆にこう、畑で余らしちゃって、あ”ぁ”ぁぁぁーっていうのもありますが。
畑を借りるのには苦労しました
【田下】そうですね、あと場所もありますね。同じ埼玉でも、深谷だとか岡部だとか川越だとかに行っちゃうと、もう畑は全然空いてないんですよね。いい場所は、群馬から出作りで人が来たりもします。この小川町とか八高線沿線は、ちょっと山あいで一枚の畑も狭くて斜面で、ってそんなにいい条件でもないので、どんどん空いてきていますね。
【田下】そういうところが規模が大きくなってくるんで、どんどん空いている畑を吸収していきますね。
【田下】そうですね。
【田下】今は畑が6.5ヘクタール、田んぼが50アールなんですけど、それも一時急に増えたんですよね。最初の頃って、有機農業っていうのは異端児だったんです。
【田下】有機農業推進法(編者注:有機農業の推進に関する法律 2006年(平成18年)制定)ができて、やりやすくなったんですけど、いろいろありましたね。
あの丘の畑(編者注:現在の風の丘ファームのシンボル的な見晴らしの良い畑)があるでしょ?あの先に、この地域の農業のリーダーだった人がいて、有機農業のことは、あまり良くは思われてなかったんですね。農薬の空中散布の問題や、ゴルフ場に土地を売るとか売らないとかいう話などで、けっこう対立していたこともありました。それであの丘の畑、2町歩ぐらいあって、最初は草ぼうぼうで泥も酷いとこだったんですけど、そこをやっていたお年寄りが亡くなって、役場を通してそこで作ってくれというような話を持ってきたというか押し付けてこられたんですね。
でもそこで、ちゃんとした野菜を作ったので、そのリーダーの人も評価してくれるようになりました。
【田下】それまではすごい毛嫌いされていたんだけども、やっぱり農家のドンだったんで、きっちり野菜を作ると認めてくれて「すごい田下くん!」って言ってくれるようになって、それから「あそこもあるよ、ここもあるよ」とかっていう感じで急に畑が広がって、良い畑も入るようになりました。
それが10数年前くらいですね。
【田下】夫婦と、1人だけパートさんのような感じで来てもらったんですね。だんだんと規模が大きくなってきたんで、ちょっとずつ人が増えたりという頃でした。
【田下】10年ほど前ですかね。それまでは単管のパイプで手作りしたボロボロの小屋で作業してて、冬になると野菜が凍っちゃう、みたいなところだったんです。ちょうど規模も大きくなってきて法人化しようかって話も出てきて、法人になると貸付の限度額も全然違うし、無利子の資金っていうのがあったりして、じゃあってことで建てたんです。
でも建った後、返済が始まるころに、あの震災(編者注:東日本大震災 2011年)があって…
災害で思い知る農村の役割
【田下】ものすごい売上が落ちて、返済にも苦労しましたね。
【田下】お客様は、元々が「安全なものが食べたい」ってオーガニックを選んでいた方が多いので、ちょっとでも放射能が出ると、そういう人達は九州から取るように変わりましたね。
それに計画停電もありましたよね。飲食店では、夜にお客が入らないって、そのせいでも売り上げがガタ落ちになりました。
畑に野菜はあるんですが、営業に行けるような雰囲気でもなかったですしね。
【田下】で、原発があんな状態だったし、気分的にもね、もうなんか、なすがままにみたいな感じで、ボロボロになっちゃってっていうとこですね。
私たちが今この仕事をしているのも、震災が一つの契機になっているんです。そのちょっと前くらいから、友達同士でボランティアで何か農業の役に立てないかって、耕作放棄地の問題とか勉強し始めた頃だったんです。その時に震災があって。
一番覚えているのは、東京から物が無くなったっていうか、1日でも2日でも、物が買えないっていうことが起きたんですよね。「え、僕達こういう脆い環境で生活してるんだ!?」って改めて認識したんです。じゃあ家族守るにはどうしたらいいんだろう?って単純に考えた時に、いやらしい話ですが「これはやっぱ農家さんと仲良くなるしかないな」と。
【全員】(笑)
【田下】いや、本当にあの時思ったのは、田舎に住んで食べ物作ってると、その辺に米もあるし、まぁ停電になっても早くに寝りゃーいいや、みたいなところで、何にも困んないんですよね。
【田下】野菜が出荷できないのと、ガソリン買うのに半日並ぶのとかは困りましたけど、それぐらいでしたね。ガソリンがないなら、トラクターを動かさずに作れるものにすればいいのかな、って考えることもできましたし。
【田下】そういう危機があったりするんだけども、すぐ忘れちゃうんですよね。
【田下】石油だって入ってこない時があったし、冷害で米がなかった時だって、みんなね、並んで米買いに行ったりとか、それもタイ米をね。あんなのがあったのに、結局もう忘れちゃって「貿易自由化」みたいなところに進んでいくっていうのが、やっぱりおかしいな~って思うんですけどね。
【田下】うーん(うなずく)
自分の食糧について考えてみよう
知らないから、簡単に「高い」とか言えるんだと思います。
【田下】(笑)
【田下】ええ。
まぁ僕、仕事なので、たまに田下さんに言ってますけどね(笑)
【全員】(笑)
【田下】農村を見てると、もうかなり危機的な状態になってるんですよね。カロリーベースの食糧自給率が低いんじゃないかとか、最近1%下がったとか言ってるんですけども、現場をみていると、そんなんじゃなくて、農家をやっている人が少なくなって、でも1軒の規模が大きくなって、どうにか総量を維持しているというだけなんです。それもどんどん高齢化してきてるので、農村には共同でやっている作業、田んぼの用水路だとか、森の管理だとかがあるんですが、それが全然できなくなってきているんですね。
【田下】田んぼが始まる前に用水の堀さらいをやるんですが、70歳、80歳のお爺さんが出てたんですよね。80歳のお爺さんが一所懸命やるんだけども捗らなくて、そのうち具合悪くなって、代わりに誰が来るのかと思ったら、そのお爺さんの奥さんが出てきちゃって…息子は出てこないのか?と。そんな感じなので、用水を管理できなくなるのが、もう見えてきてるんです。
【田下】それに大規模化してるので、今、小川町で20ヘクタール位の米麦をやってる人がいるんですが、だんだん体調悪くなてリタイアするって言い始めていて、そうすると20ヘクタール空いちゃったらどうなるのか?っていう話しが出てます。今はもう米の価格がすごい下がっちゃってるし、米作りは施設代もかかるので、新たに田んぼを始める人がいないんです。
【田下】田畑がこう、山に戻っていくんですよね。どんどんどんどん風景が変わるんだなって…
やりたいっていう人はいるので、そういう人が始められるような仕組みを作らないと、難しいのかなと思うんです。今、ある程度は国から金銭的なバックアップをしてもらえるようになったんで、やりやすくはなったって感じですけどね。
取材日: 2017/09/03
後編「農家の育て方を考える」に続きます。
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