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ビオシェルジュが聴く!青果卸・塩澤さん 前編 – 野菜の卸売と価値の伝え方 –

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ビオシェルジュが聴く!青果卸・塩澤さん 前編 – 野菜の卸売と価値の伝え方 –

ビオシェルジュが聴く!青果卸・塩澤さん 前編 – 野菜の卸売と価値の伝え方 –

有機農産物の流通を担う業者どうしの対談企画です。
オーガニック野菜って高い?いまいち広まってない?といった業界の課題から、今後の取り組みまで、お互いに腹を割って語り合います。
たっぷり紙面を割いて同業者を紹介するという、ある意味斬新な企画です。

第2弾は、生活菜園の塩澤忠文さんです。

18年前から、生産者の思いが伝わるように野菜を販売したい、と長野県飯田市で起業され、長野県内のこだわり農家の野菜を仕入れ、全国に販売されています。

【塩澤】塩澤忠文さん


「八百屋さん」のイメージとかけ離れた「市場流通」

― この仕事を始めようと思ったきっかけは何ですか?

【塩澤】テレビで野菜の引き売りをしている人を見たんです。山口県の方なんですけど、夕方に農家から野菜をもらって、何時に誰が収穫した何々って品種です、っていうラベルを貼って、翌日朝市で売るっていうのを繰り返している方でした。それを見て、面白いと思ったのが、きっかけです。

― 学校を出て社会人になる時ですか?

【塩澤】学校を出てすぐは、ゲーム会社に勤めてたんです。〇〇っていう…

― あぁー!知ってます知ってます。大きなところじゃないですか。

【塩澤】ゲームが好きで入社して、店舗運営を担当してたんです。メダルゲームとか競馬ゲームとかプリクラのあるゲームセンターです。4年勤めてたんですけど、ちょうどプリクラブームに当たって、すごい会社が儲かっちゃったんですね。ヴェルファーレ(編者注:90年代から00年代にかけて六本木で営業されていたディスコ)貸し切って新年会やったり、クルーズ船を貸し切ったり、毎年やってたんですよ。

― バブルの名残り、みたいな頃ですね。

【塩澤】まぁ会社はそうやって潤ってたんだけど、私自身は何かこれは違うな、って言う思いがあったんです。その頃、研修旅行でラスベガスに連れて行ってくれたんですが、そこで外国面白いなーと思って、その秋には会社を辞めて、カナダに2年行ってました。向こうでバスガイドやったりとか。

― へぇー!

【塩澤】ナイアガラの滝の、観光案内の免許持ってたんですよ。もう今は切れてるけど。

― すごい!

【塩澤】ただカナダって冬場はあんまり仕事がないんですよね。バンクーバーとか西側は、山があってスキー客とかいるんですけど、私がいたトロントって、五大湖がある辺り、すごい平らなところで、マイナス15℃とかになるんで観光客が来ないんです。カナダのワークビザも半年で切れるので、冬にビザを更新するのって大変なんですね。それである年、夏が終わったし、一旦、日本に戻るかなって帰国した時に、さっき言ったテレビ番組を見た、と。

― ほうほう。

【塩澤】それで、日本で野菜の販売をしようと思ったんですが、まぁ野菜のこと何も知らないんで、太田市場で働くことにしました。ただ、1年勤めたんですけど、テレビで見た引き売りの方とは、全く世界が違うんですよね。箱で入荷して、価格は相場で変動して、みたいな…

― そうですよね。

【塩澤】その市場の会社で最初は電話番をしてたんですけど、全国各地の市場に電話するんです。すると、こっちは白菜1ケース1,000円です、あっちは2,000円です、っていうことがあって、こっちの市場から拾ってあっちの市場に流すと、利ざやが稼げるんですよ。下手すると、こっちの市場を買い占めちゃうと、そこが値上がりするので、またあっちの市場から戻したり、とか。何かおかしなことしてるなぁ、と。

― なんか違うなと。

【塩澤】だって電話して、電卓叩いてばっかりなんですよ。テレビで見たイメージと、かけ離れてたので、電話番は嫌だって言って、産地に行って買い付けをさせてもらうようになったんです。朝4時とか5時に農家さんとこに「おはようございます!」って入って、一緒に収穫しながら「今日は何ケースもらえますか?」とか話ししながらトラックに積んで出荷するって仕事になりました。

― はいはい。

自ら起業した「良い野菜に報いる会社」産直販売の先駆け

【塩澤】産地の現場に行って見ると、野菜の出来栄えって、生産者によってけっこう違うもんなんですよね。ただ、良い物が高いとは限らない。こんな腰曲がったお爺さんが一所懸命作った、一番美味しい野菜が、えらい安かったりするんです。一方で「発言力」のある人が単価が高かったりします。野菜の出来栄えじゃないんですね。

― その「発言力」って、どういうメカニズムで決まるんですか?

【塩澤】市場の会社としても、野菜の供給を途切れさせたくないんですよね。そのために、生産規模が大きい農家さん、安定供給ができる人の方が声が大きくなるっていうか、会社としても、そっちに優先して行けって指示が出るんです。そういう農家さんって、市場と農協と、どっちに出す方が稼げるか比較しながら駆け引きもしてくるし、その辺が単価に反映されてくるんですよね。

― 大口小口みたいな話が出てきちゃうんだ。

【塩澤】だからまぁ、電話番もそうだし、現場を見ても、良いもの作ったところで評価されるわけじゃないんだなって、これは違うから辞めさせてくださいって言って、長野に戻ってきたんです。今のような、生産者から直接仕入れて、生産者が見えるように売るっていうのを始めました。

― なるほど、そんな経験が。

【塩澤】ただ、始めたのが2000年で、まだ農業とか野菜とか、それほど注目されてない頃で、農協が運営する直売所がチラホラでき始めたくらいだったんです。そんな頃だったので、経営は10年ぐらい不安定でしたね。

― 最初は、まず売り物を見つけなきゃいけないですよね。どうやって始めましたか?

【塩澤】ここら辺は農村地帯なので、父親の知り合いや、私の知り合いが農家だったりするんです。そのツテで、ちょっと出してください、みたいな。まだ直売所って少ない頃だったので、農協とか市場以外にも売れるっていうのは、農家さんとしても有り難かったようです。

― なるほどなるほど。

【塩澤】最初は更地に運動会のようなテントを出して、週3日だけ営業して、あとは農家さんを開拓しに行って、というのを半年くらい繰り返してましたかね。

― 農家さんにとっての利点は、市場へ出すよりは高く買い取りますよ、ってことですか?

【塩澤】価格よりも、市場の規格に合わないもの、例えば曲がったキュウリとか、10kgの箱からハミ出た5kgの半端とか、そういうのを買い取りますよ、収穫したものが全部お金になりますよ、っていう形ですね。それができるんだったら、ってことで野菜を出してくれる生産者が徐々に増えてきたんです。

― なるほど。売れました?

【塩澤】売れましたね。ただ、農協もそういうことを始めていたし、そのうち近所でも直売所が増えてきて、うちは野外のテントだったので、気温や天候でお客様が来なかったりとかね。

― 夏の暑い時だと野菜も早く萎れるし、お客様も出歩かないですよね。

【塩澤】これは大変だな、となった頃に、ちょうど某大手スーパーさんから、直売コーナーを作りたいので、やりませんか?ってお話をいただいて、入れてもらえたんです。それが1年目の冬ですね。常設だから設営や片付けの人手は要らないので、営業日も増やしつつ、生産者も増えていって、となりました。

― 店として、お客様へのセールスポイントは、どうされてたんですか?

【塩澤】その当時は、地元のもの、農家さんから直接届くものですよ、っていうだけなんですが、私が意識してたのは、一番最初にテレビで見た、誰がどう育てて、いつ収穫した何っていう野菜ですよって、ラベルに書くことですね。

― なるほど、今で言う「顔が見える野菜」ですね。

【塩澤】そうですね。当時はそういう売り方が、あんまり無かったと思います。

― これで経営が成り立つかも、って手応えがあったのは、いつ頃ですか?

【塩澤】たぶん10年位経ってからですかね。

― 長いですね。

【塩澤】長いです。今から思うと当時は、野菜を品質で選んで買う、なんてことをする人は、あまりいなかったんですよ。市場流通とかスーパーで買うのが前提で、直売所では安いから、曲がっててもいっぱい入ってた方が良いよね、みたいな理由では買ってもらえましたが、「〇〇栽培です」とか「〇〇さんが作りました」っていう選び方は、作る人も買う人も、意識してなかったと思うんですよね。

― そうですよね。一部、生協を使ってる人が意識しているくらいで、一般的ではなかったですね。

【塩澤】そう、だからラベル貼った効果は、あんまり無かったんですよね。テレビで見た山口県の方は、もう長年やってるし、どんな野菜が良いか本人が立って説明してるので、来るお客様も、そういう選び方をされていたんですけど、こちらではそのイメージ通りにはいかなかったんですよね。

― 農村地帯だと、下手すると、野菜とかって買うものじゃくて、分けてもらうものって意識もあったり。

【塩澤】それもありますね。今でも、ちょうどここ3日くらいで、露地のキュウリが取れ出したんですよね。そうすると極端に売れなくなりますもん。(編者注:取材日 2018/06/23)

― (笑)

【塩澤】全国的には相場は良いようですが、地元はそんな感じです。

― よく10年続けましたね。

野菜の価値を いかに伝えて販売するか

【塩澤】それもあって、マクミノルさんとのお付き合いとか、県外に目が向いていくって事になるんですけどね。

― なるほど。営業かけてみたりとか。

【塩澤】そのうち地元でも、別の系列の大手スーパーにも入れてもらったりして、結構売れるようにはなったんですが、地元だけだと、物が一番ある時には売りづらい、相場も下がると。それに、若い生産者が増えてきて、彼らは「自分の価値は、こうです」って伝えながら売りたいんですが、なかなか地元では響かなかったりします。それで東京の飲食店に売り出したりとか、するようになりましたね。

― はいはい。

【塩澤】そうすると、意外とまぁ、地元で売るよりは単価が良かったりとか、作った人や栽培方法を評価してくれたりとか、するんですね。じゃあ県外にも力を入れていきましょう、となったのが2010年頃ですね。

― 地理的に離れているから、東京の飲食店を開拓すると言っても、営業は大変じゃななかったですか?

【塩澤】大変ですね。10年前は、今ほど頻繁に行き来してませんでした。飯田市の農業課とか、野菜ソムリエ協会とかのお付き合いとかで、地方の物を東京に発信するイベントがあると、一緒に行く事があったり、そこで知り合いができたり、そんな感じで徐々に増えました。地元の農協だと、卸売のロットが大きいし、品目も一般的なものに限られてくるので、あまりイベント向きじゃないんですね。だから行政からも、そういう部分は塩澤さん、お願いします、と。

― 言い方が合ってるかわかりませんが、隙間を上手く埋められたと。

【塩澤】そうです。地元でも、ちょっと変わった品種のナスとかキュウリとか作ってみようっていう農家さんが増えてきてて、どっか買ってくれるところはないですか?と。そうやって両方から話が出てきたので、それを形にしたっていうのはありますね。

― まさに流通業!商社機能が上手くハマった!

【塩澤】ハマったって言っても、ほら、小規模でハマってるから(笑)

― そうかも知れないですけど、同業なんで、良いように言います(笑)

【全員】(笑)

― ウチなんか、さらに規模が小さいので…「無農薬・有機野菜の販売です」って始めて、もう少し売り上げが作れるかなって思ってたんですが、そんなに簡単ではなかったです。

【塩澤】世間も、もう少し有機とか、そういうとこに関心があるんじゃないかと思ってたとか?

― うんうん、そうですね。最近ちょっと冷静に分析すると、世間の人々は、そこまで野菜に拘ってないんじゃないかと。だから「良い野菜ですよ」ってアピールしても響いてないっていうか、売上に繋がっていないように思います。でもその反面、自社の売り物の美味しい野菜ばっかり食べてて、もう離れられない自分がいるんです。毎回食べると「やっぱ、美味ぇな」と思うわけですよ。その度に「やっぱ、これ売らなきゃな」って励まされるんです。だから日々葛藤(笑)

【塩澤】うん、そう、そうなんだよねー。そこなんだよなー。痛いほどわかります。


取材日: 2018/06/23

後編「産地と消費地でできること」に続きます。

ビオシェルジュが聴く!青果卸・塩澤さん 後編 – 産地と消費地でできること –
ビオシェルジュが聴く!青果卸・塩澤さん 後編 – 産地と消費地でできること –
有機農産物の流通を担う業者どうしの対談企画・第2弾、塩澤忠文さんの後編です。 後編では、オーガニック野菜の普及における課題と、その解決策について、産地に近い業者ができること、消費地に近い業者ができること、その役割分担といったところに話を深めていきます。

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